2023年8月15日お盆に想う【経営において『誤りのない』進むべき道】について
今日は、一般的にはお盆休みの最終日ですね。
このお盆は、結婚などを機に少し離れた家族と
会うことができる、大切な年の行事であるように
思うところです。
今年のお盆はこういった再開とともに、
別れがあったこともありました。
年の節目にこういった人との繋がりを強くする
機会を設けることは、家族のみならず
本当に大切なことだなと思いますね。
別れの場を経験すると、特にそう思います。
さて、本題です。
------------------
■冒頭にも述べたように、
お盆休みも今日で最後という方が
多いのではないでしょうか。
お盆休みは、
【ご先祖様に感謝を伝える期間】
であるとともに、
【久しぶりに親戚同士が集う】
という場でもあるのかもしれません。
どうしても結婚などをして
生まれた頃の親族とはだんだんと
疎遠になってしまうものですが、
お盆やお正月を契機として、
【親戚同士が集える場がある】
ということはなんとも良いことですね。
■逆に、こういった場を大切にしないことには、
そのように親戚同士が集うということも
なかなかないでしょうから、
【年の節目のこういった行事は大切にしたい】
というもの。
その中で、親戚などの間に不幸ごとがあり、
大好きだった親族が旅立ってしまい、
もう会えなくなるということもあるでしょう。
そのような際、葬儀などを通じてその故人の
これまでの思い出を想起するものですが、
【自分の家族ともなると、生きている間に
最愛の愛をもってその関係を紡いでいく】
というものかと思います。
■そして、幸せな人生と言えば、
少なからぬ場合、
【最愛の家族との時間を
どれだけ過ごすかに比例する】
ことではないかと思うんですね。
(あくまでも私見ではあります。)
このようなことを考えた際、
【経営においても同じことが言える】
のではないかと私は思っています。
経営者ともなると、どうしても利益を出し、
【自分のもとにお金が残るようにして、
それを生活費などに使っていく】
ということが最低限必要というもの。
しかしながら、
それが単なる『私利私欲』のために
経営をしているとしたら、
【あっという間にその信用は失われてしまう】
というものでしょう。
■『私利私欲』とは、
【自分の利益だけを考え、代価を頂戴する
相手のことを考えていない】
ことであり、もっと平たく言えば、
【相手を不幸にしてまで自分の利益を求める】
ようなものと、ここでは定義します。
そのような私利私欲の状況
に進んでしまうと、当然
【目の前の相手は不幸になる】
ものですし、
【不幸となったことから、更なる負のスパイラル
に入ってしまう】
ということもまた、考えられるのでは
ないでしょうか。
そうなると、場合によってはその経営により
【その相手(お客様)の人生が台無しに
なってしまう】
ということも、考えられるのかもしれません。
■そのような際、もし相手が
【自分の家族だとしたら】
どうでしょう。
自分の家族が第三者に、
その第三者の私利私欲のため利用され、
最愛とも言えるその家族が不幸になった
としたら…
【そんなに辛いことはない】
のではないのでしょうか。
場合によっては辛いだけではなく、
【その第三者に対して怒りなどのマイナスな
気持ちを抱いてしまう】
ということも考えられるかと思います。
そのような前提に立って考えると、
そういった第三者の行動は
【人としてあってはならない行動である】
とともに、それよりもまず問いただしたいのは、
【自分自身の経営者としての立ち振る舞い】
が、そのように目の前のお客様を家族と
見立てた場合に、そのお客様が、
【最大限満足して幸せになっているかどうか】
ということではないかと思うんですね。
■もし
【目の前の家族と見立てた
お客様が幸せかどうか】
を問われて、
その答えが『NO』であるとしたら、
【その商売は成立しないもの】
と考えるべきではないかと私は思っています。
少し怖いのが、そういった私利私欲の視点に
入り込んでしまった際、
【そのことに自分では気がついていない】
ということなんですね。
どうにかして
【知らず知らずに自分を正当化】
して、その自分の行っているビジネスが、
(実際はそうでなくても)
【正当なものとしてそのまま進んでしまう】
ということが少なからず
見受けられるわけです。
■当然のことなのですが、
そういったビジネスは上述してきた理由から
どうしても成立せず、結果として、
不幸になってしまった相手からの自分への
評価などが世の中に流布し、
【結果として良くない方向に
経営が進んでしまう】
ということは、
ものの道理からして理解できるはず。
どうしても、『目はその睫を見る能わず』
というもので、
自分のことは自分で見えないものですが、
もしこの先
【自分の経営が正確な方向に進んいるかどうか】
を判断する際、
【目の前の相手が自分の最愛の家族だったら
どのような行動をとるだろうか】
ということを考え、行動することにより、
【最低限の進んではならない方向に進むことは
阻止できるのではないか】
と私は考えます。
第三者から定点観測してもらうことも
すごく大切ですね。
<2021.6.11経営判断にあたり意識したい
こと>
https://note.com/muratax/n/n3eef83cdb5ee
■今回はお盆ということで、
最愛の親族と時間を共にする中で
そのようなことを想定し、
記事を書かせていただきました。
盆や正月に親族との親睦を
深めるのはもちろん良いことですが、
それと同時に、場合によっては経営者として、
商品やサービスをお買い求めくださっている
【お客様との関係も節目ごとに見つめ直したい】
ものですね。
------------------
《本日の微粒子企業の心構え》
・経営者になると、
商品やサービスの提供をしながら、
【それが相手を不幸な方に(自覚無自覚を問わず)
導いて利益を得ようとすることに繋がっている】
という商売においてあってはならないこと
になっていることが、
見えにくくなってしまうというもの。
・自分自身の目に関しては、
【知らず知らずに自分を正当化
する方向に進んでしまう】
ため、
【目の前のお客様が自分の
最愛の家族だったら…】
という仮説を立て、
【そのような際にどのように行動するか】
ということを考えることこそが、
最低限誤りのない『経営の進むべき道』
なのかもしれない。
・どうしても人間なので、
知らず知らずに私利私欲の方向に
入ってしまうものであるが、
経営の行く先や展開に悩んだ際は、
【目の前の相手が最愛の家族だったら…】
ということを念頭に置いて、
そのような際に
【どういった解を導くか】
ということを考え、
経営の行く先を検討してみてはいかがだろうか。
今日も最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。