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トップページ ブログ > 余談 > 私が「税理士の門を叩いた」過去の話

2025年9月14日私が「税理士の門を叩いた」過去の話

今日は三連休の中日でしたね。

連休ということで、家族でどこかに出かけたい!ということで、今日はかなり久しぶりに太宰府天満宮へ行ってきました。

天満宮とはいえ、目的は参拝ではなく、食べ歩き…(照)。

今日はちょっと思い切って、太宰府天満宮のスターバックスや、梅ヶ枝餅、そして私が北九州に住んでいた頃大好きだった揚子江の豚まんをみんなで頬張り、大満足で(!笑)帰路に着いたというところです。

揚子江の豚まんは、子どもの頃は250円位だったような記憶なのですが、今や400円に。

そして、現金のみの支払いというところで、この時代に王様感を感じずにはいられませんでした。

このジューシーな具がまたたまらんのです・・

<要チェック豚まん>
https://yousukou.site/quality/

(・・なぜか大宰府店が載っていない・・あれは夢か、はたまた幻だったのか・・)

そして、その後は週に一度の買い出しに。

(妻のアツイ話と決して耳あたりが良いとは言えない鼻歌を馬耳東風で聞き流しながら、)少し車を走らせて、周りのスーパーと比べてかなり安いスーパーに行って、三人娘のために多く買い出しをしてきたところです。

娘の成長とともに、お財布事情と父への興味はかなり厳しくなってきます。

さて、本日の本題です。

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今日は連休中ということで、たまにはちょっと大きく脱線して、私の過去について、(誰も興味がないかとは承知しながらも)当時のことを独りよがりに書いてみたいと思います。

今日は、そもそも私が税理士を目指したきっかけについてお話をします。

税理士を目指したきっかけは「就職活動の不安」から

税理士を目指した当初は、現在のような「世界中に幸せの『わ』を拡げ続ける」などという崇高な理念など全くなく、大学3年生の頃に就職活動がスタートし、その周りの慌ただしさに圧倒されて、萎縮してしまったことがきっかけだったんですね。

その就職活動を通じて日商簿記の3級試験を取ったのをきっかけに、ステップアップの資格を目指したい!ということで、税理士という将来を見出したわけですが、

そもそものきっかけとしては、就職活動の大変さに圧倒されて、そこから逃げたいという気持ちが強かったように思います(号豪汗)。

そのようなきっかけではあったものの、思い切って税理士試験の専門学校のガイダンスに出向きます。

当時、私は北九州に住んでいたのですが、専門学校に関しては、天神にその学校があり、

当時の名前でいうところの「資格の学校TAC」のガイダンスに参加したんですね。

そのガイダンスの中で、現役で税理士をされており、そのTACの講師でもある先生から聞かされたのが、

「一人だけで年収3000万円は稼げるのがこの税理士の資格だ!」ということだったんです。

『しゃ、しゃむぜぇんみぁんん??!(心の声)』

3000万円は、当時の私としては驚愕の数字でした。
もう、ゼロが何個あるのかわかりません。
(さすがに今は10億単位まではピンと来ます(誇)。)

貧しい家庭環境が背中を押した

当時の私は、生まれてからのそれまでの間に父親の大きな影響(ここでは深く書きませんが)があり、かなり貧しい家庭で育っていたんですね。

そういった貧しい家庭で母が苦労していたからこそ、税理士が魅力的に見えたということも、実際のところはありました。

当時私は大学3年生ではあったのですが、その大学も奨学金を借りてどうにか通っており、大学の授業のほかの時間はほぼすべてアルバイトの時間として使っていました。

思い起こせば、学校が15時過ぎに終わり、その後自宅近くの北九州の折尾駅で17時位に降り、そこから原付で戸畑まで30分位かけて冷凍食品工場のアルバイトに行ってたんですね。

そして、そこで17時半から夜中の0時まで仕事。

その後帰り着くのが0時半。

そして翌朝は6時半には家を出る…というような、なんとも若さ溢れるような生活をしていました。

そのような金銭的な辛さの経験もあってか、この年収3000万円というのは考えられないような、でもかなり魅力ある数字だったんですね。

ただ、そのことが私を動かす原動力となったことは確かです。

税理士試験へのスタートライン

そしてその大学3年生の9月から、税理士試験の最初の通り道である簿記論と財務諸表論という会計の2科目を受験することを決めます。

当時の簿記論と財務諸表論のパック講座が31万だった記憶なのですが、今や40万になっているようで、なんだか時代を感じますね・・

https://www.tac-school.co.jp/kouza_zeiri/zeiri_otoku12.html#1bozai

その専門学校の講座がスタートする前に、貯めていたアルバイト代で、運転免許を取り、一人で初めての旅としてニューヨークに行ったのも良い思い出です。

(飛行機が飛んだ瞬間、「お母さん、今までありがとう…」とかなり怯えていたのも良い思い出です。)

税理士試験は全ての科目で11科目ほどあるのですが、そのうち簿記論と財務諸表論を含めたその他の税法科目3科目を取ることにより完全合格となります。

まさに、この大学3年生の9月からが勉強のスタートでした。

大学の授業自体は3年生でほぼ単位を取り終わっていたため、3年生の後半から大学4年生の頃はほぼ毎日北九州の実家から天神まで通い、4年生になってからは、専門学校が終わった後に学校近くの塾講師のアルバイトをしながら過ごしていました。

(この頃も帰りは日付が変わる頃…若さの怖さですね笑。)

今だからこそ伝えたいこと

まだまだ序盤の中の序盤の話なのですが、実際のところはこのような状況で、私の税理士を目指したきっかけは決して崇高なものではなく、どちらかといえばマイナス起点からのスタートだったんですね。

よく、「村田さんは順風満帆ですね!」などということを言われるのですが、決して(今を含めて)そんなことはなく、かなりのいろんな苦労があっての今があります。

もしかするとこういった泥臭い話も、税理士受験生の方や経営者の方の参考になることもあるかもしれませんので、

これから週末には、ちょっと気分転換にこういった私の過去を書いてみたいなと考えていますので、お付き合いいただければ大変嬉しく思います。

(気分転換とは言え、中身は結構重ためになるかもしれません…照)

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今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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