2024年7月12日「DIE WITH ZERO」に見る【今の生き方】について
今日はほぼ終日面談の日でした。
最後の面談の中でのお話は、
すごく私自身多くの気づきをいただくことが
でき、大変身の引き締まるものでした。
これからさらに、情報発信者として、
精度の高い内容を発信していかなければな、
ということを考えさせられた次第です。
さて、本題です。
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■ 以前の記事の中で、
仕事をしながら忙しい時期であっても、
あえて読書などをする時間を天引きしている
という話をさせていただきました。
<2024年7月4日経営者として
【今やるべきこと】を考える>
https://muratax.com/2024/07/04/7902/
そのような中で最近読んでいるのが
「DIE WITH ZERO」という書籍。
DIE WITH ZERO
今日はその中の一節についてのことを
お話ししていきたいと思います。
■私はたびたび記事の中で
幸せの『わ』を拡げるという弊所のミッション
についてのことを伝えさせて
いただいています。
この『幸せ』ということに対する私の定義は、
【健康と仕事とプライベートの3つの要素が
全て調和し合っているような状況】
ということなんですね。
当然、その他にもいろいろな要素が
そこから派生する形で加わっていくことは
あるのですが、
私たちが考える幸せの定義はそのような
ところです。
■その中で『健康』という面を
ピックアップしてみたいのですが、
健康な状態とは、『自分が思っている通りに
体が動いていくような状況である』
と私は考えています。
そのような観点から考えると、
歳を重ねるごとに体力は低下してきて
筋力もまた低下してくるのが通常であるため、
どうしても歳を重ねるごとにできる行動が
限られてくるというものではないでしょうか。
■そのようなことに関して、
この「DIE WITH ZERO」の中では
「記憶の配当」という表現がされています。
その記憶の配当とは、経験したことに関して、
その経験のインパクトが強ければ強いほど、
その後の人生において記憶として残っている
ものであり、人生の様々な場面で
その記憶が蘇ってくるというような
意味合いであると私は解釈しています。
(書籍中の表現とは異なることをご了承
下さい。)
■これは私自身が以前の記事の中でも
たびたび取り上げさせていただいている、
【日常から抜け出した非日常の世界を
味わっていくことが大切である】
ということにも繋がる気がしています。
結局のところ、人の記憶というものは、
そのインパクトに比例するものである
と感じていますので、
そのようなことから考えると、非日常の
世界や空間をいかに多く濃く味わっていくか
ということが大切ではないかと思うところ
なんですね。
■そして、上述したように歳を
重ねるごとにその体力や記憶力、
また感性も低下してくるものである
と考えられますので、
なるべく早い段階でそのような経験を
しておく必要があるということではないか
と考えています。
そのように考えると、より健康な状況で
若いうちにいろいろなことをする必要が
あるというもので、そうなると、
仕事だけで生活をしているその生活の
状況を少しだけ見直す必要がある
のではないかというところなんですね。
■こういった「記憶の配当」ということを
念頭に置いて、人生そのものを
見返すことにより、
現在、自分自身の人生の中で多くの割合を
占めている仕事の割合を
少し下げていくことが必要であることに
気づくかもしれません。
結局のところ、人生があっての仕事という
順番ではないかと私は考えているところで、
そのような点を念頭に置いて、今一度
自分自身の人生を俯瞰して、
そこから仕事と健康、そして非日常に触れる
機会を再考し、有意義な人生の設計をする
ことを考えたいものです。
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《本日の微粒子企業の心構え》
・「DIE WITH ZERO」の中で
「記憶の配当」という表現がされている。
・結局のところ、人は歳を重ねるごとに
体力や記憶力や感性が低下してくるもので、
なるべく早期の段階でインパクトの強い
経験をしておくことが大切であると
言えるであろう。
・インパクトの強い経験をしておくと、
人生のいろいろな場面でそのことが想起され、
これが「記憶の配当」と呼ばれているところ。
・人生があっての仕事ということは
一定の事実であるものと考えられるため、
まずは、いったん仕事のことを取り払い、
どのような人生を送りたいかということを
俯瞰してみて、
そこから初めて仕事の設計をして、
人生全体の地図を仕上げて、
自らが志す有意義な人生の在り方を
見返すのも良いかもしれない。
今日も最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。