2025年7月20日「効率性は実は害あるもの?」【時間】の意味について
今日は日曜日ですね。
今朝は6時半に子どもたちが通う
スクールの環境美化に行ってきて、
その後は次女の送迎に勤しみ、
ようやくメルマガ執筆の
時間が取れています。
今日はいろいろ予定が立て込んでおり、
何かと慌ただしい日になりそうですが、
楽しみながら頑張っていきたいところです。
さて本日の本題です。
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■先日の記事の中で、たびたび
生産性や効率性をアップして、
単位時間あたりの生産性を
高めていくことが大切であるという
お話をさせていただいています。
<2025年7月8日「時間がない!」
は歪んだ認知>
https://muratax.com/2025/07/08/9157/
今日もそれに続けていきます。
■時間は万人にとって有限であるため、
これを効率よく生産的に使っていくことは
大変重要なことであるということは、
少なからぬ人が理解している
のではないでしょうか。
■ただ、こういった効率化や
生産性を追求しすぎる生き方を
していると、
「心休まるときがない」というのも
また事実かもしれません。
タイムマネジメントや効率性を
追求することにより、
隙間時間が生まれるのですが、
その空いた時間を埋めるように、
別のやることリストができてしまう
ということにもなってしまい、
まるでラットレースのような
感覚にもなるものでしょう。
■経営者として、そのような
生産性向上や効率性を追求している
のですが、
実のところ、サラリーマン時代の方が
自由を感じていたということは
ないでしょうか。
サラリーマンに関しては、基本的に
勤務時間が決まっているため、
その勤務時間を終えた後はフリーの
時間となり、
自分の人生に時間を使うことができる
というもの。
■経営者は、仕事をする時間などは
基本的に自由なのですが、
そういった勤務時間の制約がないために、
常に仕事をしてしまうということが
あるかもしれません。
そういったことを考えると、もしかすると
「自由が逆に制約されている」ようにも感じ、
そうだとすると、なんとも本末転倒では
ないでしょうか。
■どうしても経営者として、
さまざまな依頼をいただく機会が増えるほど、
上述したやることリストは溜まっていく
というもので、
これを全部やろうとすると、
どうしても時間がなくなってしまう
というのは当然の道理でしょう。
■この「全部できるはず」ということと、
「本当にやるべきか」という表裏一体の
関係を直視して、
本当にやるべきかということを考えないと、
本末転倒な状況になり、時間に支配された
人生にもなりかねないかなというところです。
■そもそも、こういった時間に支配を
されてしまっていて、
絶え間なくやることリストをこなして
いくことは、
つまり、現実を直視するのが怖いので、
そのような行動をとっているようにも
私自身は思えてなりません。
■そのような状況になっている
ということは、
つまり、時間に支配されてしまっていて、
物事の本質を見失ってしまっているように
感じるというところなんですよね。
こういった際に、
原点に立ち返ることが必要で、
自分自身のQOLを考えた際に、
今の状況はどうでしょう。
親は老いていき、子供は成長して、
親の手から離れていくもの。
■そのようなことを考えた際に、
今やっている自身の行動は、
本当に自分の人生において
有意義なことなのか?
ということは、今一度考えた方が
良いかもしれません。
■こういった論点は、単位時間あたりの
生産性を高めていくということに
反するものであり、
時間をあえて直視せず、
本質的に大切なことを大切にしていく
という視点に基づくものであるのですが、
実に本質的に大切なことはここに
あるのかなと私は感じています。
■こういった考えは、
『限りある時間の使い方』という書籍に
書かれているのですが、
こういった原点に帰る書籍は
大変経営においても学び多きものであるため、
ぜひ経営者として自分の人生を見つめ直す
という面でも、
このような先人の智慧を借りながら、
有意義な人生や経営を成立させたいものです。
<限りある時間の使い方>
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《本日の微粒子企業の心構え》
・時間効率性や生産性だけに
目を奪われていると、
本質的に大切なものを
見失いがちなもの。
・「全部できるはず」と
「本当にやるべきか」は
表裏一体の関係にあると言える。
・自身のQOLを考えた際に、
今の行動を見返して必要であるならば、
本来的に必要な本質的な部分を見据えて、
今一度自分の人生を見つめ直し、
その行動を組み立て直してみては
いかがだろうか。
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今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。