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あなたの財布の見張り役・税理士村田佑樹のプロフィール

あなたの財布の見張り役・税理士村田佑樹のプロフィール

私は山口(岩国)生まれ、育ちは北九州。
生粋の北九州っ子です。
そんな私は 借金を繰り返す父とそれを耐え忍ぶ母のもとで育ちました。
お金のことでいつも悩み、ふさぎ込み、最後には感情までも失った母。
その母の姿を見て私は思います。
「お金がないってのはなんて不幸なんやろ・・・」

そして、大学生の頃に親が離婚。
同じようにお金で不幸になる人をこれ以上増やしたくない!
そんな想いでモヤモヤしていたところ、
お金のプロフェッショナルである税理士の存在を知ります。
税理士として会社に関わることができ、その会社がうまくいけば、お金が儲かる。
そうすると、きっとみんなが幸せになれる。

「もうこれしかない!」と、鳥肌が立ち、身体中が熱く震え立つような気持ちでした。

そんな中、税理士試験の勉強とともに税理士事務所へ就職。
これまで約10年間、税理士事務所の職員として経験を積んできたわけですが、 経営者と税理士との間に大きなギャップが生まれていることに気が付きます。
悲しいことに、私のお会いする経営者の多くが 「今の税理士に不満を持っている」ということをおっしゃっる現状・・・
そこで出た自分なりの解が、 【対話】の重要性
経営者と税理士がキチンと対話できていない・・・つまり信頼関係ができていないことが、この大きなギャップの原因だということです。

そもそも、会社のお金を見ていくべき税理士が、経営者のことを理解できていないということ自体、ぬかるみの上に家を建てようとするようなもの。間違いなくその関係は崩壊します。
そういうことから、 私は経営者の方とできるだけ多く対話していくことに重きを置いています。

時代は刻一刻と変化していきます。
経営もそれに応じて変わっていくべき。
私は、そんな変化していくべき経営に深く関わっていきたいという想いから、
日々において、絶えず変容・革新を求めています。

私はただの経理屋ではありません。
経営者の運命共同体です。
共に闘い抜いていきましょう!

全てが受け身だった小・中学校時代

私は山口県岩国市で生まれました。
岩国から岡山、そして北九州へ。
2歳の頃に北九州に移り住み、その後結婚するまで北九州人で、生粋の北九州っ子。
私は必要以上に周りを気にする子で、そのことに目をつけられ、小・中学校ではよくイジメにあいました。

人を動かす経験をした高校・大学時代

そんな私は、高校入学と同時に吹奏楽部に入ります。
歓迎遠足で先輩が叩いていたドラムに憧れて入部。
そして、2年生の頃、私に転機が!
副部長に任命されてしまったのです。
受け身の生活をしてきた私にとってはイナズマの落ちるような出来事。
でもやるしかなく、なんとか全部員50人の前で孤軍奮闘。

また、大学生の頃には幹事に任命されました。これも仕方なく一生懸命に。
最初はイヤイヤでしたが、みんなの意見を聞いて団体をまとめていくことに、すごく心地よさを覚えました。

大学生の頃親が離婚・・・!?全ての人生の点が線になった瞬間

大学では勉強する傍ら、アルバイト、ゼミの幹事も。
大学から帰り、18時前から24時までバイト。
次の日は朝6時半に通学のため家を出る。
どんな風に寝ていたのかすら覚えていませんが、奨学金をもらっていたこともあり、とにかくがむしゃらに毎日を頑張っていたように思います。

そんなとある日、洗い物をしている母。
どこかに出かけようと、「すぐ帰ってくるから。」と出かける父。
その父を見送った後、洗い物をしていた母は、急に泣き出します。

『なに!?なに!?』
私には何が起こっているのかがまるでわかりません。

「佑樹、もうダメなんよ・・・」
泣きながらやっと出てきた母の一言。
ただならぬ空気を感じました。

母が言うに、父は私が生まれる前から今日まで、借金を作り、どうにか返し、また借金を作り、またどうにか返し・・・という生活を繰り返していたそうです。

「これで7回目よ。いや、8回目やか?」と母。
『7回目!?8回目!?』
あまりにもすごい話に、ただ茫然。

・・・生まれた時に1,300万円の借金、その後3年おき位に300万位のサラ金の存在が明らかになっていたとのこと。

「今までよくこらえてたね・・・」と私。

「佑樹を育てるのに必死やったんよ。佑樹に父親がおらんくなったら、つらいやろ?」
と母。
感謝のあまり、涙が出るということを通り過ぎて、なんとも言えない気持ちになりました。

・・・その話を聞いて、私のその日までの人生が走馬灯のように頭を駆け巡ります。

学校から帰ると、いつも台所にしゃがみ込んで泣いている母。いつも人の陰口ばかり叩いている父。ごはんを食べる時もいつも母は独りで台所。

「飲んでないと料理も作れん状態やったんよ。」

確かに、冷蔵庫にはいつもブランデー。母はキッチンドランカーになって、何もかも忘れ、感情を棄てて料理を作っていたとのこと。

いつも泣いたり、しずみこんでいたり、当時の私には訳のわからない母。
そして、人の陰口ばかり叩いている父。
そんな両親のもとで、私は感情を失っていたように思います。
「お母さん、お父さんが今死んだら、悲しいんかなぁ?」
そんなことを考えたことすら・・・

思い起こせば、私が小さい頃から人に対して必要以上に気をつかっていたこと、
『学校の先生も家に帰れば人の悪口ばかり言ってるはず。人は信じるものじゃない・・・』
と思い込んでいたこと。
全ては、これまでの環境からなんだ!ということに気づきました。
今までの人生の「点」だった疑問が、ビシッ!っと「線」でつながった瞬間。

・・・父のお陰で、人に対して気をつかい、人を思いやれるようになった。
・・・母のお陰で、耐え忍ぶことの大切さ、子への愛情、『母のように不幸になってしまっている人を救いたい!』という想いが持てるようになった。


今の私があるのは両親のお陰。そんな両親に心より感謝しています。

大学3年生…ビシッ!と定まった税理士への志!!!

『お金がないということは、人を不幸にしてしまう。これ以上、同じように不幸になる人を増やしたくない!健全なお金の在り方について、しっかり勉強して社会の役に立ちたい!』
そんな志を持ち、考えていたところ、お金のプロフェッショナルである税理士という仕事があることを知ります。 まさに、今の自分にピッタリ!
『よしっ!税理士を目指そう!!』大学3年生の夏に決意しました。

信念を貫き、人を動かした26歳!

また同じ頃、私が小学校の頃に通っていた施設の施設長からお話をいただき、会計を任せていただくことになりました。税理士を目指していた私にとっては、就職前に前もって勉強できる良い機会。喜んで引き受けさせていただくことに。
ここでの経験が本当に大きいものでした。就職してからもずっとこの会計に携わらせていただき、トータルで7年間の会計の仕事。ほぼボランティアです。

3年程経った頃、会計を通じてこの施設の内情を知ることに。
それは、 施設長が自分の都合のいいように経営をウラで動かしていたということでした。

私が税理士を志したのは、お金のことで不幸になっている人を救うため。
『今この施設は、この勝手な経営のせいで、職員さんや本当にこの施設のことを想っている人たちを傷つけている。これは救わなければ・・・』

燃えるような想いで、施設長に激しく反旗を翻しました。当然施設長は反発。
そして、施設長側についている人たちはみんな私のことを蔑視してきます。
これは結構きつかったですね。本当に独りぼっちでしたので。

でも1年程、会議の中で意見を主張していると、その信念を認めてくれ、また本当の状況をわかってくれて、一人またひとりと、私の味方になってくれる方が。
これは本当に嬉しい出来事で、信念を貫くことの大切さを身に染みて感じた瞬間でした。

この後4年程、私は会計の仕事を続けたものの、税理士試験の勉強もあり、これ以上続けることは断念。
でも、私が主張してきたことが受け入れられ、この施設の経営をあるべき方向に変えることに成功しました。

熱き想いを貫いて、本物のご縁をいただいた…

そして、何より大きかったことは、この信念を貫いたことにより、人が本気で協力してくれたこと。
お金が一切絡んでいない場であったこともあり、本当に人と人とが心から熱い想いをもって繋がれたことが何より大きかった。
この方々とは数年経った今もなおずっと繋がっており、一生のご縁になると確信しています。
また、このことを通じて私は、自分の中の『人は信じるものではない』という勝手な常識を打ち壊し、『本当に信じてよい人がいる。』ということに気付くことができました。

また、会計の仕事を通じてご縁のあった方から中村文昭さんという方をご紹介いただきました。中村さんはご縁を心より大切にされている方で、この時からずっと私の尊敬する方。
人との熱きご縁のお話を伺うたびに、胸が熱くなります。

人を信じることができなかった私が、このようなことを通じて、今は人と心から熱くつながりたいと思うようになっています。自分の中の常識がくるくると書き換わっていく・・・本当にありがたいことです。

想いが叶い、税理士へ

大学3年の頃より志した税理士への道・・・
仕事をしながらの勉強だったためかなり長くかかってしまったのですが、 14年間かけて、ようやく税理士の資格を取得することができました。

土日は北九州から福岡まで往復3時間かけて専門学校に通学。
週末13時間は勉強していました。
途中何度も折れそうになったのですが、しっかり信念を貫き通すことにより、想いを現実にすることができたわけです。

そう、信念を持って努力すれば報われる。
自身の経験をもって、そのことを痛感いたしました。

100社と関わり見えた経営の考え方

私は税理士になりたい!という信念のもと、税理士事務所に就職します。
10年程の勤務を通じていろいろな会社を見てきましたが、うまくいっている会社、残念ながら想い叶わず廃業してしまう会社・・・いろいろな会社を見てきました。

時代は刻一刻と変化する・・・これに合わせ、ビジネスの仕方もその時に応じて変えていく必要があると言えます。

私自身もこの時代の変化に対応するため、毎日に変化を求めています。
特に他業種の、なおかつ、自分にとってレベルの高い人に多くの方に会っていく中で、自分の常識までもがくるくると書き換わっていくことを経験則として、確信しています。

自分の常識は思い込みであることが多い。
そのことを身をもって感じています。
私はそんな日々の行動から、税務面を超えて経営者にとって何らかプラスのものを与えることができる伴走者として、日々全力で駆け抜けています。

家族や趣味のこと・・・

2011年11月11日に結婚。
妻側のご家族と会い、「これが本当の家族かぁ。」という温かい気持ちに。

2012年に長女誕生、2014年に次女、そして2016年には三女が誕生。
三姉妹を授かり、温かい家庭を築かせていただいています。

結婚前から次女誕生まで、長きに渡る税理士試験受験生活を支えてくれた妻には心より感謝です。

そして、税理士試験合格後は妻とともに、ブラジル太鼓の集団【ハカタトシア】に所属し、どんたくをはじめ、踊れる税理士として(!?)いろんなイベントに出ています。

また、子育ても【対話】を重視。

子どもたちが自分で考え、子どもたち自らが自分で率先してできるお手伝いの環境づくりを、妻とともにしています。

長女はもちろん次女も、ご飯やお味噌汁をついだり、包丁で野菜を切ったり・・・子どもの可能性はすごいなぁと毎日学ぶことばかりです。

私にはなかった経験をたくさんして、大きな心をもった大人になってもらいたいなと思っています。

村田佑樹の想い

村田佑樹の想い

2017年5月21日。

この日は私にとって転機の日となりました。
妻に誘われ参加した【両親学級】というイベント。
普段キチンと話し合いができていない夫婦のために、対話をする機会を作るというものでした。
この日は、妻とも久しぶりに話せて有意義な時間を過ごせたわけですが、これを機に、なんと我々夫婦がNHKに出演することに。
『対話こそが夫婦関係において重要である』といったテーマのもとの放送。
福岡地区での放送に反響があり、後日【おはよう日本】にて全国デビュー。

ここで妻がつぶやいた「離婚も考えた」という言葉。

いつも話し合っていたはずなのに、あろうことか、お互いの想いが食い違っていたからこその結果。
私たちは、会話はしていたものの、本当の意味で向き合って話をする【対話】をしていなかったわけです。
そのことを境に、私たちは時間をとって対話することにしました。
お互いの想いをしっかりとぶつけ合う。
このことにより、夫婦間のギャップというものがなくなり、家庭の≪共同経営者≫としてお互いを尊重し合えるまでになりました。
そして、このことが今私の原点となっています。

【対話】の重要性は、家族だけでなくすべての人間関係に共通するもの。

実際に私は、顧問契約をいただいた経営者の方としっかり対話することを何より重視しています。
結局のところ、対話なしでは信頼関係も生まれないし、本心で話せていないわけなので、経営者の伴走者であるべき税理士が頼れる存在になっていないわけです。
繰り返しになりますが、対話が大事であるということは、経営者の方とはもちろんのこと、従業員、友人、取引先、家族・・・自分の周りを取り巻くすべての人間関係において言えることです。

しっかりと対話を重ねること。

当たり前のようなことですが、この原点ともいえるべきことを何より意識した経営者の伴走者である税理士として、お付き合いさせていただきたいと思っております。

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